7. 引退

新聞を読み終え、湯本は2杯目のコーヒーを自分で入れるため給湯室へ向かった。所長室を出て給湯室の少し手前の廊下で、営業担当の大島朋子とすれ違った。

「所長、なんかイヤらしい焼け方でしていませんか?」と、朋子がからかうように湯本に近づいてきた。「誘ってくださいよ、ご自分ばかりいい思いしていないで。私も営業なんですから必要でしょ、接待ゴ・ル・フ・・・・」

大島朋子は30半ばの営業課の社員だ。このデータセンターには湯本とほぼ同じころ配属されてきた。転勤の日がたまたま同じだった以外に、何か特別な理由が何かあったわけでもなかったが、合同で執り行われた歓迎会の日より、湯本は朋子になぜか親近感を覚えていた。朋子もその性格が手伝ってか、すぐに打ち解け、お互いラフな口ぶりで話す仲となっていた。

「その格好でゴルフ場にきてくれるのなら誘ってやるよ、お客さんも喜びそうだしな。」と、湯本は体に張り付くようなブラウスとスカートを嘗め回すように視線を送った。

「いやらしい。セクハラ、パワハラの両方で完全にアウト。コンプライアンス違反で訴えてあげるから覚悟してくださいね。」と言いながらも、それとは裏腹に湯本のエッチな視線がまんざらでもない様子で朋子が答えた。そして「罰として、晩御飯ご馳走してね、ヨッシー。」と誘いをかけてきた。だが、「またこんどね、来週あたり開けとくから」と、上手くかわされた。事実、湯本は今晩は高校時代の同級生3人で飲む約束があったのだ。

あえて女にはモテないといった態度をするところが他人から見ると反発を買いやすかったが、湯本自身、それなりに女子社員の人気が高い事は自覚していた。本人も周囲の目線を意識し、年齢服装のカッコいいオヤジを目指していた。身長182センチで、同年代の男性のように腹がでっぷりと出るような事もなく、引き締まった体も維持できていた。その日もよく手入れの行き届いたコードバンの革靴に、細身でくるぶし丈のパンツ、体型に合わせてあつらえたシャツを身に着け、派手さはないが、それなりに経験を重ねた洗練さを醸し出していた。

学生のころから服装というか、ファッションにはこだわりが強く、周囲のツッパリ君をよそに、ひとり男性ファッション誌を読みふけ、今風に言えば読者モデルにでも登場しそうな体型とセンスを持ち合わせていた。

全員がやっとそろったのは22時を回った頃だった。純が予約した店に高校時代の仲間が集まり、半年ぶりに飲むことになっていたのだ。湯本は、先に店に来ていた山川と二人でビールを飲みながら陽気にはしゃいでいた。

数日前、洋一が東京に来るという連絡がSNSに入り、それじゃあということで湯本や山川、純に直ヤンなど、都内で仕事をしている連中が集まることになったのだ。

「あれ、洋一おまえ、彼女連れてくるんじゃなかったのか?」と、遅れて席に着いたばかりの洋一に山川が切り出した。彼女の仕事が終わるのを待ってから、彼女を連れて新幹線で仙台を発ってきたはずだった。

「いいから、注げよ」と洋一が山川に手元のグラスを差し出した。「おっ、わるいわるい」と言いながら、山川がビール瓶をとり洋一のグラスへ注ごうとした。「ビールは嫌いだって言ってんだろ。日本酒たのめ。」と、洋一が山川に指図した。こうして会うと昔の上下関係がそのまま態度に出てくる。

「で、女連れてこなかったのかよ、お前の」と、達郎が洋一をからかった。内海達郎は仙台で運送業を始め、数年で東京にも営業拠点を広げていた。最初のうちは仙台と東京間を行き来していたのだが、実質、東京が本店のような状態になってきたためマンションを借り生活拠点を移していた。単身赴任ということにはしていたが、不倫相手をそのマンションに囲っているらしかった。

「『昔の仲間との飲むと』言ったら、気を聞かせて今夜は知り合いの女友達と会う事にしたようだ」と洋一が達郎に答えた。「お前、遊びも程ほどにして早く安心させてやれよ」と達郎が洋一に言った。洋一はそれには何も答えなかった。ちょうどその時、店員が日本酒の一升瓶持ってきて洋一の目の前でグラスに注いた。洋一は注ぎ終わるのを待ってから、ゴクッとグラスの半分ほどを一気の空けた。洋一は友達同士の間でも、交際相手との事を語ることはあまりなかった。

しばらく雑談が交わされていたが、「俺らもなんだかんだ言って四十になるな。」と、誰に言う訳でもなく純がつぶやいた。純の前職は保険会社の営業マンであった。バブル末期の時期に、まだスタートアップしたばかりの生命保険会社に目を付け、そこの営業マンとして就職した。そして業界のトップセールスの座を築いた経歴がある。他の大手保険会社はバブル崩壊の影響で巨額の不良債権を抱えていたが、まだ新興のその会社にはそうした負債が一切なかった。その分他社ではまねのできないほどの利率を生命保険や養老保険といった商品に乗せることが可能であったのだ。安定という選択をせず、そうしたチャンスに目を付けるあたりに純の商才が伺われた。

そして、30歳を過ぎたころ、それまで培った人脈を生かし国内外複数の保険会社の商品を扱う総合保険代理店を設立した。後々、競合が現れてくることにもなるが、当時はまだ純の会社位以外に、そうしたビジネスモデルで商売していることころは見当たらなかった。

「そうだよな、たまらんよな、この腹」と湯本が達郎の腹を割り箸の先でつついた。「湯本なんか、相変わらずカッコつけてるよな。会社の女の子つかまえて、相変わらず悪さしてんだろ。」と言いながら達郎も反撃した。

「なにするんだよ、やるのか、コラ」と湯本がズボンの上から達郎の股間をギュッと握った。「いいからやめなよ、こんなところで。」と山川が止めに入った。

そして、「そうそう、やっぱり直ヤン引退らしいぜ、まだ公にはしてないよだけど。」と山川が続けた。「なんで?そんな話、いつ知った?」と洋一が山川に聞いた。「稽古が終わった後、いつも俺の車で一緒に帰っているから。いろいろ聞けるんだよ。業界の話とか、直ヤン自身の事とか。」と山川が答えた。山川は鍼灸師となり都内で開業していたのだが、週に2回、治療院閉店後に直ヤンが教えている柔術の道場に通っていたのだった。

「とうとう引退かぁ。なんだかんだあったけど、直ヤンがいちばんの出世頭だな。」と湯本が言った。「卒業式の日に、すぐに仙台から東京へ発ったんだぜ。将来も読めない中で、俺のアパートにあった炊飯ジャー抱えて。」と、純が言った。「おぼえてるよ、その話。米さえあれば、金は無くても何とか凌げるとか言ってたな。新日本プロレスのジムのすぐ側にボロアパート借りて。あいつは先々の不安っていうものが、これっぽっちもなかった。あの頃も、もちろん今だって自分の信じた道をまっしぐらだ。」と山川が言った。「それがさ、最初の頃は米を食うどころか、砂糖水でしのいだみたいだぜ。」と洋一が当時直ヤンと電話で話したことを思い出し語った。

直ヤンは高校卒業後、いよいよ自身の夢を実現するべく再び上京したのであった。最初はプロレスの門をたたき、その後シュートボクシング、正道会館での空手や、アメリカに渡りグレーシー柔術も体得し、総合格闘技の草分け的な存在として確固たる地位を確立していた。直ヤンの格闘家としてのピークはPRIDEやK-1がテレビ放送されるより前の時代だった。

ちょうど同じ時間、直ヤンは都内の墓地にいた。月の明かりに照らされ、墓前にじっとしていた。今夜高校時代の仲間が集まることは山川を通じて聞いてはいたが、最後の試合を控え夜遅くまで直ヤンは今夜も稽古していた。そして、帰りの道すがらそこに立ち寄り、長い時間たたずんでいた。

「引退試合の相手決まったよ、アンディ。」と呟いた。日本の地にも分骨したアンディ・フグの墓に語りかけるようにつぶやいた。

直ヤン自身、格闘家のピークを過ぎてはいたが、現役から引退はしていなかった。そして、アンディの強い希望もあり、彼のセコンドを努めていた。一流の格闘家には、やはりその道を極めたパートナーが必要であった。試合の時だけではなく、試合の戦略を練るときでも、練習でも常に一緒にいた。とても仲が良く、練習の後二人で食事に行くことも多かった。

そのアンディが突如不治の病に倒れ、帰らぬ人となったのだった。日本中のファンが彼との突然の別れに涙した。格闘家としても、友人としても二人はお互いを尊敬しあい、プライベートでの懇親も厚かった直ヤンにとっても、それは耐え難い悲しみであった。

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