食べ終わって、近くのコンビニでコーヒーを買い、ふたりは公園のベンチに腰をかけた。その日は湿度も低く、少し早い爽やかな風が気持ちよく吹いていた。
午前中の熱だまり対応をしていたせいで、ランチに出遅れた坂本もあとから合流してきた。ひとつとなりのベンチに腰掛け、コンビニの袋から焼きそばパンを取り出した。
「うまそうだな。だけど、そんなんで足りるのか」と森が坂本に心配顔で話しかけた。「これで十分夕方までもちますよ。」と坂本がおいしそうに焼きそばがはみ出たパンをほおばった。「俺や森だって、あんまり坂本のこと言える立場でもないけどな」と湯本が会話へ入ってきた。「毎日、サバかコロッケか豚汁定食のローテーションですからね」と森が湯本に同調した。「メンチもうまいよな。」と湯本が乗ってきた。「私はたまに出てくるサンマが好きですね。そういえば、話は変わりますが、有り難い事に家でもやっと魚出してもらえるようになりましたよ。」と森が言った。
森の家には4歳と6歳になる二人の息子がいる。数年前、原発からの放射能漏れ事故があったが、子供への影響を森の妻が極度に気にしていたのだった。食物連鎖の関係で食卓に上る魚には放射能物質が蓄積されるといったニュースが頻繁にテレビから流れ、またその影響が子供へ最も強く現れるといった情報が、事故当時は氾濫していたのだった。
大好きな東北の魚が食卓に上がらない時期が長く森家の食卓には続いていた。放射報汚染が騒がれ、スーパーへ買い物に行っても国内産の魚は置かなくなり、チリ産など、以前はあまり見かけなかった輸入ものばかりが並んでいた。
坂本はまだ独り身で子供がいる家庭の苦労は分からなかったが、関心を持って森の話にうなずいていた。「魚だけじゃないよな。東北だけではなく、当時は日本中が大混乱だったからな。」と湯本が言った。「あの頃を思うと、こんな陽気の中でのんびり出来るのがなんだか申し訳ないですね。」と森も言った。
「想定外の自然災害で、原発の安全神話に根拠がなかったことが証明されたのに、結局は何も変わらずじまい。どうしてでしょうね。」坂本が空を見上げて呟いた。「原発なんて手におえないバケモノを作っておいて、それが制御不能になってしまったんだよな。人間の過信が招いた人災だってニュースで言っていたけど。」と湯本も坂本の話に絡んできた。「あのときは、これで大きく社会構造が変わるかもしれない。僕らを取り巻く文明にもパラダイムシフト起こるかもしれないって直観しましたよ。結局、僕の直観なんて当たりもせず、何も変わらずじまいですけどね。」と森は昔を思い出すように言った。
「なんですか、パラダイムシフトって」と坂本が森に聞いた。「不変と信じて誰も疑う事が無かった、なんていうか社会的な価値観みたいなものが崩れた瞬間だったんだろ、あの事故は。それだけの出来事が起きてしまって、ある意味、従来からの考え方が間違いだったって騒がれたよな。でも結局、社会の大きな流れみたいなものが変わることはなかった。そんな意味かな。」と森が坂本に自分の考えを話した。「意識や考え方の変化がみんなのなかで発生して、何か社会の仕組みが変わるのかもしれないって、森君だけじゃあなく、多くの人たちがそう思ったかもしれないよな。文明の直線的な進歩を、いまだにみんな信じているのかな。」と森の話したことを反復するような内容を湯本が言った。
「『本当にこれだけ多くの電力が必要なのか』っていう意見も今は誰も言わなくなりましたよね。私は当時まだ学生でしたがよく覚えています。考えても意味のない事なのでしょうか」と坂本が2人に尋ねた。
「データセンターにしても原発と同じだよな。社会インフラなんて綺麗ごとで表現されるけど、実はエネルギー大量消費社会の象徴的な存在だろ。社会の構造なんてそう簡単に変わらないってことだ。」と湯本が付け加えるように話した。
「愚かというか、悲しい事ですね。」と坂本もボソッと足元を見つめながら言った。「まあ、有効な代替え案っていうか、ほかに選択肢があるのかは分からないけどな。」と森が坂本の考え方に反応した。「青臭いと言われてしまいそうですが、地球ってある意味クローズドな環境でしょ。そこで好き放題やったら、いずれは崩壊してしまうと僕は思うんです。そんなことにも気付けずに、やれ文明だ技術だって言い続けたところで、そうしたことが自家中毒を起しているのですよ。」と坂本が力説した。
「お前の言いたいことはなんとなく理解できるよ。俺も昔から感じていたのだが。まあ、例えが変かもしれなないが。」と言いながら森が話を続けた。「皆が車に乗っていたら実は相対的には誰も進んではいないって思わないか。でも、少しでも速く走りたい、遠くへ辿り着きたいってことで、目の前をたくさんの車が走っているのよ。」と、森は公園の先に見える道路を指さした。
少しヒートアップしてきた場の空気を静めるように湯本が口を出した。「そうそう、坂本の言う通りだね。目の前の事しか見ようとしていないのかもね。」と。湯本はくらくらと眩暈がしてきた。ランチタイムにこれほどまでに白熱した議論が繰り広げられるとは想像もしていなかった。昨夜の酒が完全に抜けていない事もあり、頭の中に渦が巻き始めた。そして思わず空を見上げた。
不意にその空が暗くなったかと思うと、次の瞬間、ドロドロとしたヘドロの渦に変化した。そのヘドロがしたたり落ち、湯本自身の体にまとわりついてきた。胃の中のサバ味噌がこみ上げてきた。こみ上げてきた嘔吐物とヘドロが混じり合い、座ったいたベンチはその渦にのみ込まれていった。湯本のいる場所を中心に公園がヘドロと共に沈下し始めた。
「そろそろ時間です」との、坂本の呼びかけで、ふっと湯本は我に返った。
まだ、遅いランチの店探しで、行き場を失い右往左往しているサラリーマンたちが道を遮ってきたが、3人は出来る限り涼しい木陰を選びながらデータセンターへ戻って行った。
コメント