自我、自己意識、自分自身、私。天地人、この世のすべてにおいて、唯一無二の存在である、この「私」。「私」が存在するとしたら、その実態を証明することは可能なのでしょうか。
「私自身を自覚している、それが私だ」としか、答えようがないのではないでしょうか?もし今、誰かがあなたの隣に座っているとしたら、その人はあなたの存在を証明することはできますか。
隣の人の目に映っているのは、あなたのレッテルが張られた肉体に過ぎません。その肉の塊があなたなのでしょうか。そして、あなた自身にとっては「私はここにいる」という実感があるだけです。そこにある肉の塊を、「私の意識」と言い換えることはできません。
「私」という自己意識は、人間特有のものです。人間以外の動物には、「私」といった観念が存在しません。動物は、脳による、その時々の反射反応に操られ行動します。
でも実は、人間だって同様で、たまたま脳の自動反応の上に、「私」という観念がちょこんと座っているだけのことです。
存在しているような気がする「私」
自分自身を「私」と自覚することだけが、「私」の根拠だとすれば、私の隣にいる人には、ここにいるような気がする「私」の実在を、どのように証明することができるのでしょうか。他人には「私」という自覚を意識することは不可能です。
もちろん、自分自身ですら、存在感という感覚に頼っているだけであり、「私」が存在するとは、言い切れないはずです。「存在するような気がする」程度の感覚が、「私」を支えているだけなのです。
存在しているような気がする「私」とは、複雑に絡まった脳神経回路を電気的な信号が流れ、情報が処理され、その結果投影されたイメージに過ぎません。
私とは、心というスクリーンに映し出された虚像に過ぎません。
生き延びてゆくためには、「私がいる」と思い込ませたほうが、好都合なのです。厳しい自然環境のなかで、あるいはまた競争社会の中では、主人公を登場させ、主体性をもった行動を取ることが優位に機能します。
風が吹いたら吹いたなりに、雨が降ったら降ったなりに、または、敵に襲われそうになった時に、それなりに考えて行動するために、「私の存在」は好都合なのです。さもなければ、周りの自然環境に左右され、行き場を失ってしまう可能性が高くなります。
自分自身の存在感を、「私」を通して自覚することで、単なる反応ではない、考えた行動を取りやすくなります。
人間の脳は進化の過程において、「私」を登場させることで、より効果的に肉体を機能させ、生き延びてゆける術を身に着けてきたのです。
もしかしたら、他にも生き延びる術はあったのかもしれません。しかし、人間の脳は自分自身の存在を自覚するという手段を選択し、自己意識を生み出してきたのでしょう。
物質に過ぎない脳
人間の肉体、そしてそれを統制する脳。これは、地球という自然環境の中に置かれた、ひとつの物質に過ぎません。この物質が、有機体としての生命を維持しようとしてきたなかで、「私」というイメージを心に投影する手段と、その有効性を見出し、生き抜いてきたのです。
自然界を生き抜き、種を次の世代に繋いでゆくために、「私」を利用し続けてきたのです。