3-5.慢心

慢心はプライドという言葉で言い換えることが出来ます。自分自身の優位性や権威性が高いと信じ込む煩悩です。

人には少なからずバイアスという認識のゆがみが存在します。簡単に言えば思い込みです。慢心というは、まさにこのバイアスが煩悩として現れたものです。

社会は慢心であふれている

相手より優位に立つために、周りの人々への権威性を保つために、人は知らず知らずのうちに「私は優れている」と思い込んでいます。

小さなころから他人に勝つことを当たり前のように教育されてきた私たちは、プライドを美徳として教え込まれ、慢心が心の底に強く根付いています。

ひたすらクラスや学年で1番を目指せと尻を叩かれ、将来は一流大学しか選択肢が無いように洗脳され、卒業後は当然一流企業でなければならないと信じ込んでいる、そのように社会が人間を育ててきました。

世の中は甘くない、競争を勝ち抜くことが当たり前という価値観を持った私たちには、まさに慢心が満ち溢れています。勝ち組・負け組などという言葉はその最たるものです。

「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったことがありますが、そこに書かれていた承認欲求こそ、慢心そのものということが出来るでしょう。他者との関係の中でしか自分を認めることができないなんて、悲しいと思いませんか?

慢心は自意識を支える感情

脳が「私」という架空の存在を認識しようとした結果、現れ出てくる慢心という感情。私は存在するといった、自己への執着が慢心を生み出します。

そして、この執着が強い人ほど、心の巣食う慢心はより一層大きくなってゆきます。脳が巧妙に仕組んだプログラムとも気づかずに。

肥大化する慢心

自分の存在を強調したいがために、相手と比較し、自己主張してしまう煩悩。そして、この慢心は肥大化する程に、欲や怒りに発展してしまう性質を持っています。

もっと高価なブランド品を身につけたい、高級車を所有したい、経済力を誇示したいなどの欲は、慢心から発生します。

やっかいなことに、これらの欲や慢心が傷つけられてしまうと、たちまち怒りの念が沸き起こります。相手に負けたくない、自分の地位に執着し続けたいなどの思いで必死になります。

このように、他人との比較でしか自分自身を見積れない悲しい存在が、慢心に支配された人間の正体といえます。

欲を出そうが、怒りに支配されようが、そのこと自体で人の価値が高まることはありません。実力の伴わない砂上の楼閣が、慢心に支配された心なのです。

表面を取り繕っても、いかに欲や怒りにより慢心を満足させたところで、ちょっと風が吹けば、砂の上のお城は簡単に崩れてなくなります。

慢心という煩悩

慢心という煩悩は平常心を見失わせ、欲と怒りを呼び寄せてしまいます。しかしながら、空威張りせずとも、誰かと比較しなくとも、本来ある自然な自分を認識することは出来るはずです。

動物としての人間という事であれば、自分自身の優位性が命を保ち、子孫を残すために必要な機能であったと思います。でも、現代社会においては、欲や苦しみを引き寄せる副作用の方が強く働いてしまいます。慢心が煩悩の分類される理由がここにあります。

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