やはり怒りに満ちている。人工物というのは、どうもしっくりこない。あえて愚かなレールを敷いてしまう。そして、その軌道に未来という言葉を与えながら、盲目的にエネルギーが前へ前へと、催眠状態の個を推し進める。集団という見えない手段を使い、巧妙に操りながら。
異常な心理状態になるのであろう。すべての人がとは言わないが、こうした斥力がどうしても働く。そこに実際には苦しみが生じることすら意識されずに。気づかないまま、むしろそうした怒りのエネルギーに快楽さえ覚えているのではないかと疑ってしまう。そして、その感情が個から集団へ伝播してゆくのだ。
それでもなんとか平常心を保とうとしてみる。しかしながら、禅の僧侶でもない自分が、どうすればこの感情をコントロールできるのであろう。意志の介入を許さず、瞬間、体を何かが駆け巡る。心が反射的に動いてしまう。心なのか?肉体が持ち合わせた感情ではないのか。
ただ、それを苦痛として感じることができるだけ、まだマシなのであろう。
毎朝の事だ。公園前の改札口を出て道を横切ると、美術館と周辺の広場が右の視界に流れてくる。それを横目に左へ曲がる。新緑の穢れなさが、濃い力強さに変わりつつある木立の道を抜けてゆく。公園の中央を横断している車道に出る。あえてショートカットはせず、向こう側にある横断歩道まで回り込み、信号が青に変わるのを待ってから道を渡る。すると、大きなハスの葉で埋め尽くされた景色が視界の端から端までを埋め尽くす。
深呼吸をしてみる。ずっと昔に誰かの中国土産にもらったお茶と同じ香りが頭のなかの緊張を和らげてくれる。それは、太古から現代に繋がる救いの道の様でもあり、ふと気をそらせば儚くも消えてしまう仏の慈悲を暗示させる香のようにも思えた。
湯本は最近になり、あえて駅をひとつ分手前で降り遠回りして通勤するようになった。タバコの匂いで淡いハスの葉の香りが消されないよう周囲を気にしながら、出来るだけ池に沿って歩いてゆく。
電車を降り、20分ほど歩いて、巨大なデータセンターに到着した。窓のないコンクリートの塊だ。その堅牢な要塞の関門を、まるで玉ねぎの皮を一枚ごと剥いていくかのように中心に向かう。
データセンターの壁は予め工場で作られたプレキャストコンクリートブロックで造られている。それは1メートルの厚さを持つコンクリートの擁壁(ようへき)である。通常、ビルの壁は建設時に現場で型枠に流し込まれ作られるものだが、その時々の天候などで均一な密度とはなりづらい。年数の経過とともに、明日さ寒さや雨風に晒されるに従い、密度の異なる部分からひび割れができてくる。それに対して、工場で作ってから建築現場でくみ上げられるデータセンターの壁は、たとえて言うなら熱湯と冷水に交互に浸けても割れることのない高品質ガラスみたいなものだ。品質が劣化しづらく、細かなクラックも入らないため、地震などで強い衝撃が加わっても倒壊する危険性は極めて低いのである。もちろん、ガラスのように割れやすい代物ではなく硬いコンクリートだ。
そうした静的な強さを、セキュリティという動的な仕組みが更に包み込んでいる。不正侵入を防ぐためのセキュリティは、冷たいコンクリートの中を限られた人間だけが、その中に緻密に巡らせた導線に従い通過することが許されるものだ。ウィルスとみなされた不正侵入者は途中に設けられた関門で遮断され、必要条件が満たされた者のみがその先へ進んで行くことができるのである。玉ねぎの皮を一枚ずつはがすように内部に進んでいく。
湯本は少し背もたれがゆったりとした大き目の椅子に、背筋を張り気味に浅くこしかけた。秘書が入れてくれたコーヒーを一口すすりあげてから、そのカップを片手に、打ち合わせ卓へと移動した。そして、夜勤担当者がまとめた顧客からのクレーム報告書を受け取りざっと目を通した。所長という役職ではあったが、直接現場の些細な動きまで確認しないと不安になってしまう。そんな性分だった。
打ち合わせ卓は4人がけの小さなテーブルだ。少し遅れて課長の森が湯本の向いの席にどっしりと腰かけた。その隣の席には既に、坂本というまだ20代半ばの華奢な若手が待機していた。
湯本は報告書を机に戻しつつ森へ視線を走らせた。そして「サーバーの過剰搭載だったのではないのか?」と聞いた。「いえ、ラック内に設置された機器の電流値を測定しましたが4KVAを下回っており、特に問題はありませんでした」と坂本が横から割って入った。森は無表情のままであった。
森は大柄な体格だった。一見すると細かな気配りが必要な運用部門には不向きな雰囲気を外見からはイメージされやすかったが、顧客への気配りなど細かなことまでよく気が付く人物であった。運用業務全般を広範囲カバーし、ホスピタリティなどの顧客対応面を含め細かな事までよく気が回り、所長の湯本から頼りにされていた。
「サーバールーム内の温度上昇はSLAの範囲内です。クレームとして扱うほどではないのでは?」と坂本が言った。「これを取るに足らない出来事と片づけてしまうのは危険だよ。もしかすれば大きな事故につながる要因が隠れているかもしれない。単に契約条件だけを論ってもお客様の不満は解消しないぞ。」と森は坂本を諭すように答えた。
「森君の言うように、お客様側のシステムに問題があったということで終わらせるのはよくないよ。予防保全的な視点も考慮しながら対応を考えてくれ。システム障害どころが、温度上昇がレッドゾーンを超えてしまうと、場合によっては火災にだってなりかねない。坂本、空調の運転ログを解析してもらえないか?」と湯本は直接指示をだした。
「了解です。他に急ぎの案件もありませし、優先対応します」と、坂本は答え席を離れた。「所長、このお客様の設備拡張ペースは、事前にヒアリングしていたよりも急ピッチで進んでいます。予定通りの電力使用量で収まってはいますが、機器の利用開始時期が前倒しとなっているため冷却用空調の増設が間に合っていません。」と、森はここ数日のお客様動向やそれに伴うデータセンター側の対応状況を説明してくれた。「予め聞いていたよりも5ラック分のシステム稼働が早まっているという事か。それがアラートの原因ということかもしれないね。坂本君の解析結果を待って、空調機の増設を急ぎ設備側へ手配してくれないか。」と、湯本は森へ示指を伝え自席へ戻った。
ラックというのは、データセンターの最小利用単位である。正しくはサーバーラックと呼ぶのだが、ラックという呼称で顧客も含めた関係者間では通用している。具体的には高さ2メートル、横70センチ、奥行き1メートルほどの金属製の箱で、その中にサーバーやルーターなどといった、各種システムを構成する機器が設置される。また、ラック単位で、利用可能な電力量も決まっており、湯本の管轄するデータセンターでは4kVA~6kVAが標準であった。その電源がラック内に設置された顧客の機器に供給されるのだ。
参考までにオール電化の一般家庭での契約電力は100ボルト60アンペアが標準となるが、これはデータセンターにあるラックひとつ当たりで利用可能な容量と同じである。座布団ほどの面積に立っているラックひとつが、家一軒分の電力を使用すると考えるとわかりやすい。電力の使用量でいえば、ひとつのデータセンタービル内に数千件の家があるようなイメージになる。それらがギュッと圧縮されてビル内に収まっているため、多く電力を使うほど、ラックの内部やラックが設置されているルーム全体が熱くなる。それを大型の空調機により冷却しているのだ。
朝の打ち合わせ後は、特に何事もなく時間が過ぎて行った。湯本はコーヒーを机に置き、通勤電車でクシャクシャになった朝刊を広げた。データセンターは24時間365日ノンストップで運営されているが、ほとんどの運用は自動化されている。何かトラブルが発生すれば所長という立場上、事態の収拾や顧客への謝罪、報告書作成等々で、てんてこ舞いとなるが、特段何も起きない限り熱心に何かをしようとは思わなかった。そもそも、自動化されているおかげで、普段はあまりすることがない。仕事である以上、本当はやることが無い訳ではないのだが、「これでいいと」なんとなく思っていた。
出世街道を今のまま突き進みむといった欲が無くなった訳でもないが、大きなミスさえ起こさなければ、敷かれたレールに自動運転で乗っていけるような社風だったのだ。
しかも、森をはじめとした各スタッフはとても頼りになり、手取り足取りの指示は殆どと行って良いほど必要なかった。彼らは皆よく考え、主体的に動いてくれた。各スタッフにセンターの運営方針をしっかり理解してもらい、定期的な報告をそつなく会社の上層部に出しておけば、湯本からすればそれで安泰ということだった。
データセンターの運用を自動化する仕組み作りは、いろいろな意味で効果的な手段であった。人為的な出来不出来に左右されづらく、運用品質が一定のラインで安定する。データセンターという特性上、非常にセキュリティレベルの高い仕組みも十分に機能していた。しかしながら、全てが機械任せという訳にもいかず、最終的には人手に頼らざるを得ない部分もある。それでも、オペレーションミスの発生率は低く、効率的かつ効果的な運用が見事に実現出来ていた。
データセンターを利用している顧客は、自社が契約したラック内の機器をメンテナンスする場合などに入館する。入館の際は所定の手続きを経てセキュリティ上問題ない事が確認された場合に限り、目的のラックまでたどり着くことが可能となる。
そもそも、ITシステムをつなぐ通信回線など、ネットワークセキュリティをどれだけ高度なものにしても、データセンター内の機器まで部外者が直接行き着くことが出来てしまうようでは何の意味もなくなってしまう。
通信回線ネットワークからのコンピューターウィルスによるシステムへの侵入を阻止できたとしても、誰かが不正侵入によりデータセンター自体に簡単に侵入できてしまえば、そこにあるシステムを簡単にダウンさせることができるのである。水鉄砲ひとつあれば、ラック内の機器類に水をかけ電源系統をショートさせ、サーバーなどの機器を止めてしまうことも可能だろう。
またその半面、本来入館する権限を持っているお客様に対し、あまりにも厳重なセキュリティチェックを行えばクレームとなることもある。入館プロセスが複雑だ、手順が面倒だといった苦情がすぐに出てきてしまう。こうした不満を無くし、顧客満足度を上げるといった対応も十分に行い、セキュリティの管理と両立させなければならない。
これらの諸条件をクリアさせるには、人手に頼らない入館の自動化が必要となる。人間が手動で受付チェックを行うよりも素早く、間違いなく効率的に出来るという事もあるが、機械相手であれば入館するお客様も感情的になりづらい。相手が人間であれば文句のひとつも言いたくなることはあっても、その相手が機械であれば、こんなものだと諦めてしまう事の方が殆どだからだ。
例え話になるが、小舟に乗って川を渡っているときに、誰か他の者が漕いでいる別の小舟がこちらに向かってくると、「こら、ぶつかるじゃないか」と大声で相手に叫び声をあげ腹を立てるものだ。でも、こちらに向かってくるのが、どこからか流されてきた無人の小舟であれば、衝突しないように自分の船を操縦することに集中する。同じような危険度でも、無人の小舟に怒ることは無いだろう。
話を戻すが、入館の手続きは人手をほとんど介さずに行われる。最初に、顧客側から、事前の入館申請を出してもらう必要がある。インターネット経由でパソコンやスマートフォンから、入館するための申請が必要だ。入館予定日時や、作業するものの氏名等を入力する。もちろん、申請サイトからログインする際に、IDやパスワードが必要だ。また更に、その申請を同じ会社の他の者が承認する必要がある。通常は顧客側の会社の管理者がその権限をもち、入館予定者が出した入館予定の申請を承認するのだ。管理者が申請サイトにログインし、既に出されている入館の申請に対し「承認する」ボタンを押すのだ。
そして、入館を予定している日時に、承認された作業員がデータセンターを訪れる。データセンターの住所は一般には公開されていない。従って、Googleマップなどで検索してもなかなか見つけだすことが出来ない。地図上にデータセンターとは表示されないためだ。
データセンターを利用する会社は契約時に場所を知ることが出来るが、実際に建物のあるところまで来ても当然ながら看板などはない。ただの窓のないコンクリートの要塞がそこにあるだけだ。
そして、やっとデータセンターの敷地に入る門扉を通過出来ても、建物の入り口自体がどこにあるのか、一見して分からない造りになっている。建物の壁に似せたその入り口の先には、更にいくつかのクリアしなければならない関門となる扉がある。暗証番号などが分かっていて、それらの関門を通過できた場合にやっと受付カウンターまでたどり着くことが出来る。
受付カウンターでは予め申請されている入館情報と、カウンターに来ている人間が一致するのかなどのチェックを更に受けることになる。事前に登録された個人の生態情報、つまり指紋や指静脈、目の虹彩など、機械的な確認が行われる。
もちろん受付カウンターでの生体情報チェックも全自動だ。事前入館申請情報と入館者の身分証明書、既に登録してある静脈や目の虹彩などの生体情報の照合が人手を介さずシステマチックに行われ入館者の本人確認が行われる。
ここまでパスして、初めて本当の意味でファーストゲートを通過するための認証カードが発行される。認証カードは入館申請された時間帯のみ有効となる。かつ、そのカードには、それを利用する者の生態情報が紐づけられる。つまりはカードリーダーに認証カードを当てるだけではゲートが開かないのだ。静脈照合などの生態認証が同時に行われ、かつ有効な時間帯のみ開錠されゲートを通過できる。コンピューターなどの機器類が搭載されているラックはサーバールームという部屋にあるが、それはファーストゲートよりも遥か先のレイヤーとなる。
こうした仕組みが整備されているおかげで、湯本をはじめとしたスタッフはかなり楽をすることができていた。厳重なセチュリティチェックを通らなければ入館できないのは、利用する顧客側からの要求にもマッチしている。そして、このような自動化システムは十分に安定しており問題も見当たらなかった。
特に会社の上層部が何か言ってくるまで、湯本はこのまま気楽に過ごすつもりでいた。このコンクリートの要塞は、それを運営する企業側の内部統制的な営みさえ見えなくしている。
湯本自身はデータセンタービジネス立上げ当初からのプロジェクトメンバーであり、これまで述べてきたような入館セキュリティ設計や、24時間365日ノンストップの電力供給、高温を発して稼働し続ける各種サーバー類の冷却システム等の設計、実装に携わってきた。
それだけに、社内の誰しも彼には一目置いており疑う者はなかった。そして、湯本は見事なまでに、こうした背景を隠れ蓑として、紛いなりにも所長の立場を保っていつつも、のんびりとしたサラリーマン生活を送っていた。
日本にデータセンターとい考え方が持ち込まれたのは西暦2000年前後からだ。湯本が所属している会社はその分野に早くから参入し、国内市場をけん引してきた。今日に至るまでいく棟かのデータセンターが建設され、その都度多方面にわたる試行錯誤が繰り返されてきた。そして、その経験やテクノロジーの集大成として、3年前にいま湯本が指揮を執っている、このデータセンターが建設されたのであった。
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