ホコリをかぶった机の上には笑っている絹江の写真が置かれていた。写真のふちはちぎれている箇所もあり、顔のあたりは手垢でくすんでいた。
既にそこから抜け出す気力も失われていたが、それでもなお洋一の心を地震の時に見た業火が焼いていた。それでいて、体の中は冷た泥の沼腹の中はあの日のドロドロした泥沼のなかで洋一は身動きも出来ず、そのまま苦しんでいた。
たまに、汚れたジャージのままでふっらっと外に出ては、近所にある酒屋の自販機でワンカップを数本買い、ただ酔うために飲んでいた。昼も夜もなく、ただただ部屋の中でじっとしていた。
あの直ヤンの引退試合から●●ヵ月しかたっていなかったのだが、一気に10歳以上老け、青白いゲッソリとした顔をしていた。ただ、目だけは高校時代の頃のまま、自分に取りついている悪魔を睨むかのように、誰かに凄んでいる風にも見えた。
何が原因でこうなったか、最初のうちは、何千回考えを巡らしたかわからない。だが、どれもこれも、それを行わないための口実でしかなかった。そういう結論にしか到達できなかった。
自分に自信を持っていたと思い込んでいたが、本当は我を通したいだけ、それどころか責任を持つことを避けていただけだったんだ。
死んでしまった絹江を、どうすることも出来ない。すまないと泣いても、叫んでも。
洋一はまたワンカップをふたくちで飲み干した。
俺には俺としての主体性というものがあった。洋一はそう信じ、自分の考えに従う事が自分の生き方だと、物心ついた時からこれまで信じて疑わなかった。自己の考えに従う事を主体性と思いこんでいた。自分自身の見方が普遍的だと思い込み、自分の正しさ関して心を閉ざしてしまっていた。
自分が、自分が、自分が、そういう自分で誰なんだろう、どこにいるんだろう。
ここに自分がいる。恐怖に怯えている、不安にさいなまされている、迷い苦しんでいる自分がいる。たぶん、無ではない、きっと存在はしているのであろう。しかしながら、それにどれだけの意味があったのか。苦しい、苦しい、なぜ。苦しんでいるのは誰、俺って何?。
カーテンを閉ざされ、光も空気も行き来しない部屋の中には自分以外に入り込む余地はなかった、はずだった。誰が俺を苦しめている。そこにいるのは誰なんだ。なんで苦しいんだ。もしかして自分なのか。
もう怒りを持ちたくない。どこにも迷い込みたくない。本当は苦しかったんだ。我(が)だけが邪念の様に俺に付きまとっているんだ。
なぜ絹江はあんなに優しい心持で、いつもいてくれたんだろう。いつも光り輝いて、愛らしかったのだろうか。おれは、そんな絹江に対しても我を通しことが自分らしさだと言わんばかりに、我儘なだけだった。ただただ、反射的に怒り、怯え、迷っていた。
そんなものは空虚なだけだ。本当は俺なんて、自分なんて幻影にすぎないのかもしれない。まだ苦しい。まだ、自分が取りついている。頼むから離れてくれ。カーテンを開けてみたい。ひとつにつながったところに行かせてくれ。もう勘弁してくれ。
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