「気がつきましたか?」看護師が洋一の顔を覗き込みながら話しかけた。「先生を呼んできますから、少し待ってくださいね」
「ここは?」洋一は病室を出て行こうとする看護師を呼び止めた。
「ここは千葉にある堀川クリニック。個人病院なんだけど、大きなところが全部うまっちゃって、2日前にここへ搬送されてきたの」と看護師が答えた。
「絹江は?連れの女性は?」と洋一が看護婦に聞いた。
「せんせー、気が付きました。来てください。」と大声で看護師が叫んだ。
洋一がベッドから半身を起しかけたが、その瞬間どことも言えず体のあちこちに激痛が走った。
「だめだめ、火事で煙を大量に吸って気を失って、右腕はズタズタ。肋骨も軽く3~4本は折れてて、右のわき腹からも大出血。木片か何かが刺さった跡だったようだけど、幸い急所は外れていたのよ。」と言って看護師が洋一の体をベッドに押さえつけた。
「俺だけ、俺一人だけ?」と洋一が再度尋ねた。
「代々木スタジアムの脇を通る道路で倒れていたのを自衛隊に救助されたんですよ。『コンクリートで固められたオリンピックスタジアムが壁になってくれたおかげで火災旋風から体が守られたのだろう』って運んできた自衛隊の人が言ってました」と洋一が倒れていた状況を看護師が説明してくれた。
そこへ白衣の老医師がやってきた。「おぉ、目を覚ましたね。」と言いながら老医師は洋一の瞼を左手で開きながら、右手のペンライトで瞳孔の様子を確認した。
脈拍を確認したりと一通りのチェックし、「反対側の右腕ね、神経も血管もズタズタだったよ。外科は専門外だから予後は何とも言えんな。今無理すると、その右腕切り落とす羽目になるからな。」と老医師は付け加えた。
「お名前は?言ってみてくださいな」と看護師が洋一に聞いた。
「キムラです。キムラヨウイチ。」と洋一が答えた。
「生年月日も言える?」と看護師が聞いた。
「仙台に帰ります。すみません。」と洋一が言い、再びベッドから起き上がろうとした。
「無茶なことをするもんじゃない。せっかく助かった命なんだよ。」と老医師が洋一に諭すように語りかけた。
「俺だけだったのですか?見つかった時。小学生の男の子もいたはずなのですが」と洋一が看護師に尋ねたのと同じような内容を老医師に向かって聞いた。
「しらんな。地震のあった晩はあんただけじゃなかったんだよ、この小さな病院がけが人であふれかえっていた。もっとも、命に係わるような重症患者はもっと大きなところに回されたみたいだがな。
アンタだけだよ、たぶん。ほかの人は家族が迎えに来たりして退院したからな。」と老医師が言いながら部屋を出て行った。
「えーと、何年何月何日でしたっけ」と看護師が再度洋一に確認した。
「1963年5月20日生まれ」と洋一が答えた。
「ん、じゃあ細かい事はまたあとでね。まだまだ、ゆっくり休んで。」と言い残し看護師も老医師の後を追った。
洋一は2人を目で追った。部屋の出口の辺りには丸い、シンプルな白の時計がかけられていたが、時間は7時22分で止まっていた。洋一は歯を食いしばるように苦しみを噛み殺し、固く目を閉じたが、涙がとめどなく流れた。
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