7-2.無為自然

心に怒りが沸き上がっても、決して自分を責めないでください。

心に迷いや不安、慢心が生じても、そんな自分に落胆しないでください。

感情は勝手に湧き出てくるものですし、観念も常に心に浮かんでくるものです。そうしたものが生じる度に負い目を感じても、ストレスになるだけです。

感情も観念も、脳内スクリーンに投影された「私」という虚像の仕業であり、脳の生理現象だと認識し、やり過ごすことが大切です。

「私」を俯瞰する

感情が心を支配しようとしても、観念が強迫してこようともサラリと受け流しましょう。

「私」という主役は存在しない、感情や観念は「私」を意識させようとする刺激である、という事が理解できていれば、怯えることもなく安心してやり過ごすことが出来るはずです。

慢心、怒り、迷いに取りつかれる機会が減ることで、記憶としてのカルマの堆積を防ぐことが出来ます。また、カルマが記憶から引き出される頻度も下がります。そうすることで、カルマを忘却の彼方へと押しやってしまいましょう。

心の浄化

カルマを新たに溜め込まず、既に存在するカルマを浄化させるために、「私」を常に俯瞰する習慣を身につけましょう。

俯瞰することで、煩悩に属する感情や、それに伴い発生する観念を受け流してしまえるようになります。

カルマが心も積もらず、過去に積まれたカルマは少しづつ消滅します。その結果、平常心でいられる時間が長く続くようになります。

高みから私を俯瞰する

「いま私の心は怒りに支配されようとしている」、「反射的に相手を攻撃しようとしている」といった具合に、「私」を一段高いところから俯瞰するのです。

このタイミングで、「私」が感情に流され、観念に支配されたまま思考を働かせ、行動を起こしてしまえば、それがカルマとなり記憶に蓄えられてしまいます。

「私」というアバターに対し、「過去に溜め込まれたカルマが引き出され、今私は怒りに支配されようとしている」といったふうに、心の動きを冷静に内観してみましょう。

脳の反射作用を感じ取れるようになっていきます

煩悩が発生するたびに、それを訓練の機会と捉えて心の俯瞰を続けましょう。次第に「ああ、また記憶から慢心や怒りを取り出して私を動かそうとしている」と脳の反応を感じ取れるようになっていきます。

脳による反射・反応の仕組みを理解し、俯瞰するという実戦経験を繰り返すことで、感情や観念の支配力は次第に弱まっていきます。そして、同時に「私」は存在しないという真実も少しづつ実感できるようになります。

離脱する私

感情や観念にコントロールされ、へばりついていた自我を意識できるようになれば、「私」が徐々に体から離れていきます。無我という心境へと近づくことが出来るでしょう。

無為自然

感情に迷い、観念に苦しみ続けてきた自分を振り返ってみたとき、カルマの減少が可能なのか不安になるかもしれません。でも、あまり難しく考えないでください。

迷い苦しんでいる心に気づき、それをただ眺めればいいのです。

カルマという苦しみの正体を知ることを智慧と言います。苦しみに知恵の光を当てれば、それを消滅させることが出来るのです。

苦しみとは

苦しみとは、「私」という虚像が肉体にへばりついている状態を差します。その私を常に雲の上から眺めるように俯瞰してみましょう。ただ眺めればいいのです。

そのことで、脳に映し出されている「私」に気づき、感情や観念の主人公が実在しないことに気づくことが出来ます。

慢心する私も、怒る私も、迷う私も、強迫観念に追い詰められる私も、どれもこれも実態ではないと悟ることが出来るようになります。

俯瞰しているのは誰?

では、俯瞰しているのは誰なのでしょうか。

俯瞰しているのは自然そのものです。

無為自然の状態が俯瞰そのものです。覆いかぶさった「私」が解けた後に現れる、本来の自然な意識こそが、自我から解脱した無為であり、自然本来の姿なのです。

 

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