弓で弦を振るわすウッドベースの波動が、いつのまにか闇を刻むような奏法へと変化している。空間を包み込む途切れない低い波動はピアノやギターなど他の楽器を程よく前面に押し出していた。積極さは無いが、かといって裏方でもない。闇と自然と調和するような存在感だ。
銀色の盆にウイスキーのオンザロックを載せて男が戻ってきた。
グラスをテーブルに置きながら男は口を動かしたが、僕には聞き取れなかった。銀盆の男は僕にいちど視線を向けてから無表情なままテーブルを離れていった。それほど存在感もなく、店の空気に馴染んでいるような感じがした。
僕は男を追った視線を自分の手元に戻した。グラスに軽く口をつけ、それから周囲のテーブル席に目をやった。さっきまで誰かが座っていたのだろう。
隣のテーブルにはコーヒーカップと砂糖やミルクのセットが置かれている。ステンレス製の砂糖を入れた器の蓋が開いていてサラサラとしたグラニュー糖がその中に見えた。ミルク用のステンレス製の小さな容器もある。
さっきまでいた誰かがコーヒーに砂糖とミルクを混ぜひとくちだけすすり、そのままどこか得消えてしまったのかもしれない。あとに残されたコーヒーはおいしくも不味くもなく、ただ置き去りにされたように思えた。
僕は少しだけ緊張したまま、特になにをするともなしにグラスに口をつけた。さっきのレコードジャケットに目をやった。
楽器の音色がよかったのか、リズムやメロディが気に入ったのか、または薄オレンジのレコードジャケットが印象的だったのか、どうして気になったのかは分からない。
銀盆の男がカウンターから出てきた。コップの水をつぎ足しに来るのかなと思ったが、そうではなく右のスピーカーのほうへと歩いた。
そこの譜面立てに置かれたレコードジャケットを手に取りターンテーブルの方へと向かった。そして、さっきまで回っていたレコードをジャケットへと戻した。
続いて、男は入口から続く通路の方へ行き、壁面に備え付けられた棚から少しの迷いもなく、次にかけるレコードを選び出した。
店の入口を背に右側の壁にある棚には、どれほどのレコード収納されているのか見当もつかなかった。しかも、全てのレコードは表紙が見えない。レコードジャケットの背がぎっしりと並んでいるだけである。
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