12. ブックマッチ

結局のところ、僕の過去がどうであろうが、宇宙の原理がなんであろうが、現実とは脳の作り出したイメージがそのひとなりに現れているに過ぎないのだ。

周りの環境が変化しようが、冬だろうが夏だろうが、脳が楽しいと思えば楽園だし、寒くてつらいと感じればそこは厳しい冬なのだ。

けっして冬が僕に厳しさを与えているのではない。寒いという自覚が冬の寒さを僕に与えているだけなのだ。春の桜がきれいなのではない。僕は桜という実態には関与できないが、僕の中にある桜のイメージが現実を形作っているだけなのだ。

銀盆の男だって僕が認識した時点で現実にもなりうるし、物理的に存在したとしても僕の世界にはいない可能性だってある。ただもう一度あの男のいる、あの店に行ってみたいのだ。

僕は朋子と別れてから、その後何かのきっかけで彼女の部屋に合流したのかもしれないし、最初から合流していたのかもしれない。結局は僕次第なのかもしれない。朋子の世界の話ではない。

またあそこに戻ってみたい。あのひとつの現実に入り込み、もう一度夢の続きに帰ってみたい。僕はその思いに動かされ、遠くの街灯に照らされた闇の世界を歩き続けた。

COUNT、ポケットの中のマッチが僕とあの店をつないでいる。つなぎ目が切れないように、丁寧に硬い地面を踏みしめながらあるいた。

誰ともすれ違うことがない僕だけの路地をこつこつと歩いた。どこにもつながらない、横にそれるような枝道もない、ただそこにあるだけの通りを歩いた。

金曜の夜、僕は路地にはみ出たほのかに白く灯った店の看板まで引き返し、ヒールの女性とすれ違った気がする。それともあれはレコードジャケットに描かれていた女性だったのだろうか。タイトスカートにヒールの女性。朋子も確かあの晩、そんな服装だったのかもしれない。

「そうだ」と僕はつぶやいた。ポケットから例のマッチを取り出してみた。そこにはもしかしたら電話番号が印刷されているかもしれない。

上着の右のポケットからCOUNTのブックマッチを取り出し確認した。黒地に白い文字でCOUNTと書かれているだけだった。

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