3-4.欲

『自我を乗り越えよう』というテーマでの記事を連載しています。

今回は煩悩に属する感情のひとつ、「欲」にいつてです。

前回の記事で、怒りは斥力であるということをお伝えしました。これに対し、欲は引力、対象を欲する煩悩です。

何か食べたい、お金持ちになりたい、○○さんが好きだ、などという観念は欲が引き金となり現れます。

もともとは、生命を維持し、子孫を残すための生存本能が、欲という感情を発達させてきました。食物を得て命を保つため、異性と巡り合い子孫を残すために発動されるのが欲という感情です。

人間のみならず、動物として必要不可欠なものだと言えます。

人間の欲

古代社会であれば、腕力があり獲物をたくさん狩れる者がリーダーとなり得ました。リーダーとして集団を統制する立場にいれば、更に多くの食物を得る機会にも恵まれます。また、食べ物のみならず異性と交わる機会も増えたはずです。

そして、文明が発展するに従い、知恵や財力のある者が集団を支配するように変化していきます。腕力から経済力へと求める価値観が変化するにつれ、人間特有の金銭欲が現れます。

現代では、経済が社会を動かし、さらには人の心さえ支配する場合も多くあります。動物として今何か食べたいという素朴な感情だったものが、「あれが欲しい、これも欲しい」と物欲、金銭欲が心を埋め尽くすように変化してきました。

もっと欲しい

生活が豊かになり、冷蔵庫を開ければいつでも何か食べ物がある現代は、まさに飽食の時代です。欲がいつでも満たされやすい環境にあるのだから、本能としての欲の感情は低下すると考えるのが自然なのかもしれません。

しかしながら、人間のもつ欲には際限がありませんでした。

低下するどころか、欲が心を支配する度合いは、より一層大きくなっています。何かを手に入れたら、それで心が満たされるということはなく、「もっと欲しい、もっと、もっと」と限りなく欲は強くなりました。

もし、心に器があるとすれば、欲はその器をあっという間に満たしてしまい、満ち溢れた欲が更に器から溢れ出してしまいます。器が見えなくなる程の欲に心は飲み込まれてしまい、身動きが取れないところまで追い詰められます。

人間の欲は決して満たされることなく肥大化し続け、心の自由を奪い取ってしまします。荘子が「無為自然」という教えを説き巻いたが、現代人の心はそれと真逆の状態になっています。

自然に揺れ動き、混沌とした心が本来の姿だとすれば、文明社会の中に生きる人間の心は欲に拘束され自由が奪われてしまっています。

欲にまみれた心は、それゆえに苦しみ、その苦しみを紛らわすために更に欲することをやめようとしません。

欲の苦しみ

欲が満たされないと、欲しくて欲しくてたまらない、それ以外手に付かないといった状況にまで追い詰められます。次第にそれは妄念と呼ばれる状態にまでなってしまいます。

「あれさえあれば・・・」、「これを手に入れないと」などといった妄念は、今ここにいる現実を否定してしまいます。「欲しい、でも今はそれが無い」といった具合に、今を肯定できなくなります。

そして、もし何か欲しいものが手に入り、欲が満たされると、その瞬間、快楽が脳を駆け巡ります。それと同時に、これまで欲として自分を支配してきた刺激が一気に無くなってしまいます。

欲が満たされた瞬間の快楽と、満たされた後の物足りなさが交差し、再び欲の妄念に取りつかれてしまいます。満たされるとさらなる刺激を求め欲は肥大化してゆきます。そしてまた、欲に取りつかれ、心はより一層欲に拘束され、「もっと欲しい、もっと刺激を」といった煩悩に取りつかれてしまうのです。

心が本来持つ自由を奪われ、欲に取りつかれた状態は苦しみに他なりません。

「今ここ」という現実は不足感に苦しめられます。過去に手に入れた快楽の記憶も忘れられず、更にさらに求め続けてしまうのです。

欲のスパイラルは途切れることなく、人の心へ苦しみを与え続けます。欲深い人ほど、欲という業が心の奥底に沈殿し、堆積され続けます。そして、ヘドロのような欲は、何度も何度も鎌首をもたげて、さらなう欲を引き寄せるのです。

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