8-2.つながる

強迫観念や、怒り、迷いなど感情の呪縛が解ける(ほどける)のは、決して死後の世界の話だけ、ということではありません。

生きていようが、死んでいようが、自然の悠久さに包含されてしまえば、その中では人間のもつ時間軸など無に等しいものとなります。過去も未来も、今という一瞬に包含されてしまいます。

自ずから

今ここにある状態こそが無為自然である、そのような気づきに巡り合い、そうあろうとすれば、一瞬にして自我が解けます。「私」が解け、ありのままの「無我」を体感することができるでしょう。

無我であれば、そこには「私」を脅迫する観念も、私を苦しめる感情もありません。ただ自然に繋がった状態に戻るだけです。自然に戻るだけでいいのです。

気づきと俯瞰を持続させ、私から解け、無為自然に繋がる、そうした営みを日常生活のなかで実践して行きましょう。

何やら心の中にモヤモヤとした、「私」なるものを動かそうとする観念が現れてきたぞ。さらに冷静に内観してみたら、奥底の方には怒りや哀しみ、迷い、慢心などの煩悩がうごめいている。もっと深いところでは、単純に不快だから攻撃、或いは逃避しようとか、または快楽のために欲しようという本能的な反射があるな。

こうした俯瞰を絶えず続けることが大切です。

脳は完成されたコンピューターとは異なります。期待する反応だけが起こるとは限りません。人によっては、脳の神経回路が、常軌とは異なる反応を繰り返してしまうこともあります。

外界からの情報や、心の動きなどが引き金となり、一般的には考えづらいような反射が起こるとだってあります。恥ずかしくて他人には話せない、自分でもおかしな観念だとは思う、それでも従わずにはいられないといった強迫観念に、「私」が支配されることすらあります。

そして、そこには必ず「私」が存在します。その「私」を俯瞰することができれば、少しずつ苦しみは和らぎ、やがて消えて行きます。そうなるためには、気づきと俯瞰の継続的な実践が不可欠です。

諸行無常

決して命を傷つけることなく、生まれ、生き、自然に死んでゆく道を全うしましょう。元来、そこには苦しみなどありません。平穏に優しい時間が流れているだけです。

無為とは、何もしなくてもいいという事でなく、諸行無常の道理に逆らわず、『今ここ』に集中できることです。そうすれば、自ずと道は開けて行くでしょう。

穏やかな、優しい光に包まれた人生を歩み続けることが出来るでしょう。

最後になりますが、誰かのつらさ、苦しみが少しでも楽になることを願い、この連載記事「混沌」を終えさせていただきます。

 

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