3-3.怒り

煩悩に属する感情のうち、「怒り」について最初に説明します。

怒りは斥力として働きます。例えば、愛情が引力であるとするなら、怒りは相手から離れようとする力です。攻撃することで、対象となる存在を自分から遠のかせます。

また、怒りは攻撃のみならず逃避反射の際にも出現する感情です。脳の視床下部、下垂体、そして副腎へとホルモン分泌が伝わってゆき、ノルアドレナリンやアドレナリンが放出されます。この一連の反射作用により身体は闘争状態となります。

心臓の鼓動が高まり、全身の血管が収縮し血圧が上昇します。更に呼吸は荒くなり、目の前の敵を倒す、または全力で逃避するような行動へとつながるのです。

怒りによる反射的な作用

外敵に襲われたときは有無を言わさず、脳幹からの不快信号やそれに次いで怒りの感情が発動されます。

まず最初に、目の前の出来事が自分にとって快であるのか、不快であるのかが判断されます。感情が現れるよりも前の段階で、脳の海馬という領域が蓄積された記憶を瞬時に読み取り、快、または不快を判断します。

そして、それが不快である場合は、ストレス反射として前述してたノルアドレナリン・アドレナリンが脳内や全身を血液の乗って駆け巡ります。命を守るための臨戦態勢が取られるのですが、身体の反応のみならず、この時点で怒りの感情が心を支配します。

そして、過去の経験と照らし合わせるなどして、目の前の相手に勝てそうであれば戦い、自分の方が弱そうであれば逃避行動を起こします。

怒りとは

動物としての人間が自然界を生き延びてゆくため、本能に根差した防衛機能として怒りの感情が発動されます。

原始の時代にあっては、特に必要不可欠な感情ではありましが、それが現代を生きる私たちにも強く残っているのです。

もちろん、今を生きる私たちにも数多くのリスクは存在しています。しかしながら、そのリスクは原始時代とは異なります。常にライオンに狙われ、いつも命が危険に晒されているとといった環境ではありません。

言わずもがなかもしれませんが、今の時代は怒りもたらす効果効能よりも、怒りがもたらす苦しみの比重が高くなっています。

怒りは私たちにとって苦しみ以外の何者でもありません。怒りにより自分自身はもとより、怒りを向けられた相手にも苦しみを与えてしまいます。

本来は生き抜くため必要か機能であった怒りも、時代の変化と共に価値が変わってしまったのです。

怒りの刺激

怒りは非常に強い刺激を心身に与えます。その刺激の強さは尋常ではなく、生活の中で生じる鬱積などは軽く吹き飛ばすほどです。

怒ったからと言って、鬱積の原因が解決する訳ではありません。でも、私たちの抱える悩みや悲しみなどを、一時忘れさせてしまうほどの刺激が怒りにはあります。

この刺激により、多くの人々は気分がすっきりしたと勘違いしてしまいがちになります。怒ったことにより、抱えていた嫌な気分やイライラが吹き飛んだように感じるのは、それだけ怒りの刺激が強力だからです。

怒りによる強烈な刺激により、ストレスが解消されたという錯覚は、例えるなら飲酒と同じです。アルコールを摂取することで気分が楽になったつもりでいても、自分自身が抱えている問題は何一つ解決しません。お酒を飲んでいる間、嫌なことを忘れているだけです。

そして、酔いがさめてしまえば、二日酔いによる吐き気、頭痛、肝臓のダメージ、寝不足による不調が待ち受けています。強い刺激で現実逃避していただけで、本当は心も体も苦しめていたのですよね。

怒りの場合も同じです。怒りの本質は苦しみです。平常心を見失い、平穏さをなくし、強烈な怒りの刺激が心身につよいストレスを与えるのです。

冷静になって、怒りに支配されていた自分を顧みればよく分かりますが、怒りは快楽ではなく、苦しみそのものです。

相手を打ち負かし、勝ち誇り、清々した気分に浸ったつもりでいても、怒りはその本人に強いダメージを与えているものです。怒りによるストレスで疲れ果て、心にはドロドロとした怒りの念が沈殿してしまいます。

苦しみに気づけない

人間は怒りによる苦しみに気づくことが、なかなかできません。なぜなら、怒ることで相手より優位に立ち、プライドという慢心が心を支配してしまうからです。

心穏やかな日常を過ごしているひとからすれば、怒りがどれほど苦しいものなのかを容易に理解できるでしょう。しかしながら、怒りに取りつかれている人は、その怒りを快楽と錯覚し、苦しみに気づくことが出来ません。

怒ることで平常心が麻痺してしまい、力がみなぎると勘違いしてしまいます。でも、本当は心も体も、怒りにより苦しみ病んでいます。苦しみから抜け出せずにいます。

怒りの経験は心に沈殿し続けます

とても厄介なことなのですが、怒りによる精神状態や、怒りを伴った行動は、記憶として強く残ります。

そして、怒りの記憶は事あるごとに呼び覚まされ、次の怒りの起爆剤となってしまいます。記憶に蓄えられた怒りに関する情報が導火線となり、更に大きな怒りに火をつけてしまうのです。

入力された情報が不快と判断されると、脳の海馬という領域で怒りの記憶が引き出されやすくなります。怒りに関する脳神経回路が活性化してしまうのです。そして、次の段階で脳の偏桃体という領域から、怒りの感情が出力されます。これが怒りの増幅回路です。

怒りの記憶は業となる

東洋医学では記憶として蓄えられた煩悩を「業」と呼んでいます。

この業というものは、怒りや慢心などの煩悩が心に発生するたびに増幅してしまいます。増幅された業は更に記憶として定着します。

「業が深い」という言葉を聞いたことはありませんか?

怒りが心の奥底に堆積し続け、些細な出来事に対しても、すぐ怒ってします。その頻度は次第に増し、怒りの度合いも強くなるものです。

怒りは苦しみそのものです。そして、怒れば怒るほど、怒りの業が深くなっていくのです。

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