11. 薬指

絹江と洋一はブラブラと当てもなくお台場を歩いていた。まだまだ残暑は続きそうな強めの日差しだった。絹江のまっすぐな長い髪がそよ風に吹かれさらさらと流れた。木漏れ日のキラキラした光の妖精と戯れながら、ふたりは手をつなぎ歩いていた。

「ヨウちゃん、洋服買ってあげるからお店探しみない?」と絹江が不意に言った。洋一は特に何も答えなかった。「ジャージとかTシャツばっかりでしょ。お店たくさんあるし、ヨウちゃんに似合う服、見つかると思う。」と絹江が言った。「こんなところの服、何がいいのかわからないし」と素直に洋一が答えた。

少し歩いた先に大きなショッピングモールが見えていた。あまり長く人ごみにいると不機嫌になってしまう洋一の性格を心得ているので、絹江は洋一の手を引き、外の街路樹に沿った道を選びながら歩いた。

ショッピングモールへ着くと、絹江は洋一に似合いそうな服を手際よく探して回った。最初の一件目だけは面倒臭そうな態度を取りながらも洋一も店に入ってくれたが、2件目の時には店の前にあるソファーにどっかりと座ってしまった。座りながら腕を組み、絹江が洋服を探すのを遠目に見ていた。

洋一が試着なんてしてくれるはずがない事を心得ていた絹江は、「ちょっと待っていてね。すぐに選び終わるから」と店の中から外にいる洋一に聞こえるように声をかけてきた。そのあと少ししてから、店の袋に入った洋服を胸に抱え嬉しそうに洋一のところへ駆け寄ってきた。

「はい。買ってきたよ。どっか、着替える場所あるかな?ねぇ、お店に入って試着室使わせてもらおうよ。」とソファーに座ったままの洋一の手を引いた。「いいよ、トイレで着替えるから」と洋一が言ったが、「やだ、そんなところで」と絹江がいい、強引にショップに洋一を連れて行った。

平日のせいもあり、さほど混雑もしていなかったので、直ぐに試着室に入ることが出来た。「これなら、丈詰も必要ないでしょ。シャツもたまには襟付きの着てみてよ。」と言い、カーキ色のひざ下が隠れる程度のカーゴパンツと薄手のチェックのシャツを袋から出し、試着室の中の洋一の両手に押し付けカーテンを閉めた。

直ぐに着替え終わり洋一が出てきた。サイズはちょうどで、特に言葉にはしなかったが、洋一が気に入ってくれたのが絹江には分かった。着たまま、店員にタグをはさみで切ってもらい、いままで来ていたジャージは紙袋に入れた。

店を出て再び当てもなく歩きはじめた。そして「ヨウちゃん、かわいー。」と絹江がからかった。洋一にしては珍しく、笑顔で「ありがとう」と言った。そして、「今はいているサンダルにもよく似合ってるよ。」と絹江も嬉しそうに言った。

「観覧車に乗らないか。」 そよ風にも誘われ、いつになく機嫌のいい洋一が絹江を誘った。絹江が洋一の目を見て笑顔でうなずいた。

「洋ちゃん、ソフトクリーム売っているよ。観覧車のなかで食べようよ。」といい、乗降口の近くの小さな店を指さした。「あんなもん、暑くてすぐに融けてしまうだろう。」と洋一が言ったが、絹江は「観覧車全然混んでないから大丈夫だよ。もし融けそうなら並んでいるうちに食べえちゃえばいいじゃない。」と言ってから、ソフトクリームを買いに走って行った。

青空のような海が、午後の日差しにきらめいていた。「東京の海も広いんだね。」と絹江は子供の様に嬉しそうに言った。南のかなたに向かい、真っ白い雲が翼を広げて飛んでいるようだった。「海も空もきれいだし、ソフトクリームもちゃんと観覧車の中で食べれたでしょ。」と絹江がはしゃぎながら言った。

観覧車が一周し終わり、もうそろそろ降りるタイミングで「もう一度乗らない?」と洋一が言った。「別にいいけど、そんなに好きなの?それとももっとソフトクリーム食べたいの?」と絹江が言った。洋一は再びチケットを2枚買い、絹江の背中を軽く押して観覧車に乗り込んだ。

一度目と同様に眼下には青い海が広がっていた。洋一と絹江を乗せた観覧車がいちばん高いところへ行くまでの間、二人はただぼんやりと外の景色を見ていた。そして頂点近くに昇ってくると、前後の観覧車も視界から消え、ただ大きな青空だけが広がった。

突然、「14年も待たせてすまなかった」と洋一が言い出した。洋一は少し緊張した面持ちながらも、絹江の目をまっすぐに見つめていた。「えっ?」と、絹江は状況が掴めずに洋一を見つめ返した。

「これ」と一言だけいい、洋一はポケットの中から小さな箱を取り出した。そして絹江の目の前でその蓋を開けた。箱の中には、海の光と同じように静かきらめく指輪があった。

洋一は静かに絹江の左手を取り、薬指へその指輪をそっと通した。絹江の目には青い透き通った涙があふれだした。空の青と海の青がひとつになり、その青が一斎を包み込んでいた。二人は静かにそこへ溶け込んでいった。

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