私 8-2.つながる 今ここにある状態こそが無為自然である、そのような気づきに巡り合い、そうあろうとすれば、一瞬にして自我は解けます。「私」が解け、ありのままの「無我」を体感することができるでしょう。無我であれば、そこには私を脅迫する観念も、私を苦しめる感情もありません。ただ自然に繋がった状態に戻るだけです。自然に戻るだけでいいのです。 2021.04.28 私
私 8-1.ほどける 「無為自然」という生き方があります。無為とは一切の作為がない、つまり私などの介入する隙など全く無い状態を指します。そして、自然とは、自ら然り(おのずからしかり)という言葉通り、神羅万象あるがままの様子を表しています。 2021.04.28 私
私 7-4.マイルール 自我がへばり付き、感情や観念に押し流されないようにするためにはマイルールを持つことが大切です。ともすると、人は脳の習性に押し流され、自我が簡単に復活してしまいます。それを事後に観察するだけではなく、自己を律するルールを持つことで「私」を抑止します。 2021.04.27 私
私 7-3.動的な制御 外部からの強い感情刺激を能動的に断ち切ることで、一気にカルマを消滅させることが可能となります。なぜなら、強い意志を持って沸き上がる怒りや慢心を抑止することで、脳の神経回路に太い道筋を刻み込むことが出来るからです。 2021.04.26 私
私 7-2.無為自然 へばりついていた自我を意識できるようになれば私が徐々に体から離れていきます。無我という心境へと近づくことが出来るでしょう。そのとき私を俯瞰しているのは自然そのものです。覆いかぶさった「私」が解けた後に現れる、本来の自然な意識こそが、自我がから解脱した無為であり自然本来の姿なのです。 2021.04.26 私
私 7-1.カルマの忘却 カルマさえ浄化することが出来れば人生はとても楽になります。生まれてから現在に至るまでの間、重く深く積み重なったカルマを少しずつ減らすことが、苦しみの解消、心の浄化へとつながります。 2021.04.25 私
私 6-4.私のなかの苦しみ 苦しみの経験が記憶として刻み込まれる度に、その時と同様の感情や観念が引き出される頻度は高まります。そして、次第に心を浄化し苦しみを減らすことが難しくなってしまいます。感情や観念、自己意識の呪縛を解き、苦しみから逃れることはできないのでしょうか? 2021.04.25 私
私 6-3.気づき 「私」が考え判断することで感情や観念が生み出されているのではありません。脳の生理的な反射作用により感情や観念は発生しています。このことに気づくことができれば、本能がセットした苦しみという仕掛けは消滅します。感情や観念の主人公は存在せず、自然の営みがただそこにあるだけなのですから。 2021.04.24 私
私 6-2.命の浄化 自然の中で生命を授かり、自然の営みのままに、平穏に命を全うする。このような生き方は可能なのでしょうか。生き永らえ、種を存続させ、なおかつ安穏な生涯を送ることは、如何にして実現できるのでしょうか。どのように苦しみを浄化さえることが出来るのか、私たちがこれからの時代を生きていくために解決すべき課題がここにあります。 2021.04.24 私
私 6-1.人間が背負っている苦悩 植物は花を咲かせ、蝶は花々の間を飛び交い、自然環境との調和を図りながら生きています。それに対して、なぜか人間という動物は、宿主である地球環境の破壊をいとわず自然に背いた行動をしてしまいます。これはもしかしたら、他の生き物にはない自我とか自己意識が、そうさせているのかもしれません。 2021.04.23 私